大学入学共通テストについて~新時代の幕開けとともに、その未来を占う~


公開日: 最終更新日:
みなさんこんばんは。 高上代表佐藤一行です。 英検ではリスニングの難化に拍車がかかり、どんなに難しくなったところで相手の顔を見て判断する日常会話とは別物であるとの本音はとりあえずここでは置いておき、ついにあと1年半にせまった大学入学共通テストについて個人的な所感を述べておきます。

①国語について

記述式が三つも出され、25字、50字、150字だそうです。 25と50は実質抜出になるので、大したことはなさそうですが、150字となるとなかなかのもの。 ただし文字を書いてこそわかることはあるので受験生は決して投げ出して白紙で出したりせず、きちんと自分なりに頑張って書いてみるべきです。 個人的には このときの私の心情として最も適切なものは何か? とかいう気持ち悪い出題は消してもらいたいものなのですが。このブログでこういうこと書くと私だらけで私まで混乱してしまいそうです。

②数学について

指導科目でもあるので、少し見たのですがあの話し言葉が非常に気持ち悪いですね。 あんな問題の解法など他人と相談しているようでは話にならない気がするのですが、わざわざ日本語の会話能力からの推測を求められるのかと思うと受験生が気の毒です。 気が立っているとああいう話し言葉一つ一つが癪に障るのは当たり前ですし。 ここで念のため述べておきますが、私は日本語の読解力が数学で必要ないなどというつもりはありません。数学だって日本語で書かれた問題文を読むのですから。 ただ、あんな話し言葉を追う必要はないでしょう。 記述式は普通に本人が納得いく答案を書けばよろしい。

③英語について

もっとも問題とされるのがこの英語についてです。 すごく中途半端な変化であり、受験生の混乱に拍車をかけるようで気の毒です。 その原因はspeakingとwiritingの民間委託でしょう。

なぜ民間委託したのか?

要は50万人近い受験生のspeaking能力など一度に測れないことが原因と言われています。 ただ、測れないのならば民間になど頼らなければよい。 民間の試験もたった一回、みなが同じ試験を受けるのならば私はあまり文句はありません。 複数受験となると今までの受験の最大の解く直であった公平性が損なわれるのです。  

公平性とは何か?

単に皆が同じ状況で同じ問題を解くことです。 たとえすごくむつかしくても、みなが同じ問題を同じ時間で解いているので公平だったのです。 ただ、今は民間の試験となるとそれぞれ全然基準は違います。 そもそも地方に住んでいる学生は、いちいち大都市にまで出向いて試験を受けなければいけません。 問題だって異なるのに。 ここまでばらばらになれば、東大や京大が英検準2程度の力があると高校の授業で認められれば良しとしていたり、北大がまったく英検による選抜をしないというのも納得いきます。 (ちなみに北海道の中学生は英検3級を持っている割合が全国で単独最下位である。ただ、そんなランキングもどうでもよい)  

二技能での選抜も当面は続く。

このような事情から、英語のみ二技能での選抜も当面は続くようです。 つまり、readingとlistenigのみを大学入試共通試験で受けて、それの成績のみを二次試験に使うことです。 この中途半端な改革によって受験生はかなり困ることになると思われます。

さらに残る多くの課題。自己採点がしにくくなる。

そもそもセンター試験はマーク形式であり、自己採点はきちんと問題用紙に解答が書けていれば容易でした。それが記述式が入った場合、自己採点は要ではなくなり、記述式問題についてはランク付けするとの話はあっても、断言できますが、結局は1点2点を争うことになる受験において、自己採点がきちんとできないと志望大学に出すのが怖くなってしまうのです。 要は点数がはっきりしないのに挑戦していくことになりますからね。 私は経験上生徒が記述式において、きちんとした模試の解答をもらっていても全然自己採点が一致しないことはよく経験しております。 (高く出す生徒もいれば、中にはすごく自分に厳しくやたら低い自己採点しか出せない者も居る。) そうなっては第一志望の目標も立てにくいですし、我々も完全な再現答案を見られるわけではないので、進路相談も非常にしにくくなるでしょう。

結局は困るのは受験生。

センター協会が安くするよう頼んだのにもかかわらず、多くの民間試験団体がここぞとばかりに値上げに踏み切りました。格好のビジネスチャンスだとでも思っているのかもしれません。 しかしそのお金を払うのはそれぞれの家庭なのです。塾に行けない生徒だって世の中沢山います。懸命に自力で勉強してなんとか一発勝負に臨む受験生だっているのです。

科目数だって減らない

科目数もそのままです。文部省も脱暗記主義を掲げるのなら、あの科目数の多さこそなんとかしろと私は思うのですが、それに加えて記述の練習まで。受験生がいささか気の毒です。 覚えた上に記述の練習。しかも受かったらほとんどずべて忘れてしまう。

民間の英語資格に受かっても。

そして、たとえ英検1級を取ったところで、みなさんが夢見ているような英語力など身につかないのです。 日常会話だってままならない人ばかりだし、映画だって聞き取れない。固い英語のニュースだって理解できないことの方が圧倒的に多い。そのような状況にしか過ぎないのです。 英検1級でさえそんなものなのです。私は仕事柄英検1級取得者にも何人もあってきましたが、結局は英検1級取得者たちもまだまだそんな実力しかないのです。 私もまだまだ英語を極めたなどというつもりは毛頭ありませんが、現在1級取得者にもある程度の余裕をもってその先の指導ができるのは、自分ももう12年ほど前に、英検1級を取得しても、そんな現実を感じ、直視して、自己研鑽をやめなかったからでしょう。  

それでも想うこと。

いろいろと納得できな部分はありますが、私自身は見切り発車でも仕方ないので、このまま突き進むしかないと思います。 センター試験に逆戻りしたって、残っているのは不毛な暗記ばかり。 いっそのこと科目数を減らし、記述式を全科目に入れる。 それくらいの思い切った改革を期待したいものですが、それ以上にこれからの未来を担う若者に対して、これくらいのことでたじろがず前に進んでもらいたいと私は想っているのです。 そこだけはセンター協会と同じ想いなのでしょう。        

関連記事



カテゴリ:
タグ:,



関連記事


記事はありませんでした