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公開日:2020年7月16日
最終更新日:2020年7月30日

この記事は代表ではなく、高上で英語を教えている御堂筋(仮名)が書きました。英語について思うことをまじめに書きます。

自分は昨年英検®一級を取得し、英語力にはある程度の実力があると思っています。 あくまで平均的な日本人と比較した場合の話ですし、自分はまだまだ英語力を向上させたいと思っています。

英語勉強に終わりはない

そもそも私は、ネイティブスピーカーでない私たちにとって、英語勉強に終わりはないと考えています。もちろん目標を何とするかによって、例えば受験で良い成績を取ることにした場合、より成績を取ればそれで「終わり」ですし、英検®にせよ、TOEICにせよ、目標の級・得点を取れれば目標は達成されます。

しかしそれは単なる目標、指標でしかないと考えていて、自分は全ての英語学習は「使えること」によって意味を持つと考えています。そして、究極の目標はネイティブスピーカーのように、口からスラスラと英語がでてくること、冗談を自然に言えること、スラスラと文章が書けることであると思います。

目標はモチベーションを維持するのには必要だと思いますし、実際重要だと思います。 しかし、ある一つの目標を達成したら終わり、というのはあまりにも悲しいしもったいないことだと思います。

それは、英語によって自分の知ることの世界が広がる、と思うからです。

世界を広げる、英語

普通に日本で生活していて、言葉の壁にぶつかることはほぼありません。ほとんどの人が日本語を話し、ニュースや新聞、そして行政文書や自治体の文章も全て日本語で書かれています(とくに、健康保険とか、給付金の申込書など行政文章は外国人であっても全て日本語で送られます。送られてきた書類がそもそも何なのか、何をどう書けばいいのか、困惑する外国人が沢山います)

でも、僭越ながら、同年代の特に若い人たちに言いたい(が面と向かっては言えないので文章で書く)。日本語で知ることのできる情報は限られている、と。自分のアクセスできる情報量=自分のアクセスできる世界と考えるなら。

この前提はそこまで間違っていないと思います。そして、今後ますます情報が重要な社会になる予感がしています。

大学に入って、世界は英語を中心に回っているということがよくわかりました。技術の進歩の歴史はいかに人類が進歩してきたかを端的に表しますが、それらの情報は「論文」という形で蓄積されています。世界を変えたような重要な論文は、基本的には英語で書かれています(科学の場合、その前はドイツ語だったが)。インターネットの発達によって、それらの論文には比較的簡単にアクセスできるようになってきています。

つまり、英語が読めるか読めないかで知ることのできる世界は狭まり、書けるか書けないかで社会に与えることのできる影響のポテンシャルが変わるのではないか。私はそう思っております。

そして、これからの日本を背負っていく若い世代こそ、英語の重要性が増のではないか。そして、英語を使えてこそ意味を持つのではないか、と思っています。

英語は使えてこそ意味があるのはないか?

この「使えてこそ意味を持つ」という考えは、中学時代に形成されました。中学の英語の先生(日本人)はいつも「英語は使えてこそ意味がある!」といっており、授業では大体英語で生徒に質問しまくるような方でした。内容もチャップリンのスピーチを取り上げたりE.T.を見たり歌を歌ったり。実際に英語でスピーチもやりました。定期テストでは作文が要求されました。文法は、ドリルを1冊使い、それを解きながら教えるスタイルで、授業の中での重要度は大きくはありませんでした。

高校受験のための授業では、正直全くありませんでした。このような先生への評価は割れると思います。義務教育ではどのような教育を目指すべきか?という大きなトピックにつながる話でもあり、今回は深くは触れませんが、学歴が全てという雰囲気のただよう現代で、親の資金力が子供の学力、学歴に影響するという事実があります。それを考えれば、全員が平等に受けることのできる義務教育で受験のための勉強をする、ということは理にかなっているとも考えられるからです。

でも、自分は学校での英語教育は受験勉強より、勉強することの大切さ、楽しさに触れられるものであるべきだと思います。英語に関して言えば、もっと「自然に」「使う」「楽しむ」英語教育であるべきだと思います。さらに言うなれば、そのような能力を身につけた人こそ高得点を得られるような高校入試・大学入試制度であれば良いと思っています。

かなり理想を語っている感がありますが、自分はこのように考えています。今年度から導入される新しい入試と目指している地点は同じだろうと思います。(ただ来年からの共通テストは、方法には問題があると思っています。)

一つ、忘れることのできない経験があります。

1年の時の授業は、おそらく他の学校では普通の、教科書を読んで単語を書いて覚えて…という単調な(正直自分にとって面白くなかった)授業。

2年生からは少し前に説明した先生の授業。その先生は一番初めの授業でこんな質問をしました。

「この料理、美味しいよって伝えたい時なんて言う?」と。

自分は美味しい=delicious だと覚えていたため、それを使えば良いだろうと思った。

でもさらに次の質問には答えられなかった。

「もしdeliciousを知らなかったらなんて言う?」

―Goodを使えばいいじゃん。

こう言われた時、英語の本質に触れたんだと思う。単純に日本語との1対1の対応だけではないこと。表現が伝わることに意味があること。

この経験を境に英語への考え方が変わって、今の自分があると思っています。そんなわけで、その先生にはとても感謝していますし、英語は使えてこそ意味がある、と今でも思っています。

 ただこの認識が引き起こした弊害もあります。端的に言えば、「暗記は違う!」という考えに傾いた結果、単語の勉強を疎かにし、受験勉強でうまくいかなかった、ということです。また、単語を知らないともちろん表現にも限界があります。高校までは単語帳にあまり意味を見いだせていませんでしたが、今は違います。単語を知っていてこそ、受験でも戦えますし表現の幅も広がると考えています。このお話は、また機会があれば投稿する予定です。

この記事の著者

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英語指導者。そしてそれはまた英語学習者でもあるということ。国内において、日々臨界期仮説に正面から向き合う。札幌市内全域。特に、札幌周辺、大通り、丸山近郊にての英語指導が可能。
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英語指導者。そしてそれはまた英語学習者でもあるということ。国内において、日々臨界期仮説に正面から向き合う。札幌市内全域。特に、札幌周辺、大通り、丸山近郊にての英語指導が可能。